先日、遅ればせながら、稲垣えみ子さんの「老後とピアノ」を読みました。
約40年ぶりに再開したピアノの悪戦苦闘ぶりが語られていくわけですが、いや、なかなか面白いです。
「退職を機に時間ができたら、ずっとやりたくてもできなかったことに挑戦したい」というところからのスタートだそうです。稲垣さんの場合は子どもの頃の経験があって、再開に当たっては、まずは小学校の時の最後の発表会で弾いた「きらきら星変奏曲(モーツァルト)」からスタートし、その後、ショパン、ベートーヴェン、ドビュッシー、リスト等々に進み、最後は発表会でショパンのマズルカ13番を弾くところでこの本は幕を閉じます。
その過程の描写がとっても面白いし、練習を進める中での様々な場面に、「そうだよね」と共感するところが沢山ありました。
そこで、「レイトスターターの楽器練習」、「人生後半の過ごし方へのヒント」という観点から、思い浮かんだことをつらつらと書き連ねてみました。ちなみに私も大人になってからバイオリンを始めたレイトスターターです。
レイトスターターは開き直る
楽器は一般に子どもの頃からやってないと無理だというイメージがあります。特にピアノとかバイオリンはそうです。
でも、そんなこと言ったら身も蓋もないじゃあないですか。大人から始めようと思った時点で、もう大人になっちゃっているんだから、今更、子どもには戻れません。
やりたいからやっているのであって、まさしく「ほっといてね」の世界です。
大人はモチベーションが高い
大人から始めようとする人はモチベーションが高いはずです。何故なら誰かに言われて無理やりやらされているのではなく、自分がやりたいからやっているのです。
大人になってやりたい人は沢山いるのでしょう。それが証拠に、街には「大人のための音楽教室」が溢れています。
レイトスターターは本気
これは「趣味なんだから下手でもいい」とか、「楽しければいい」というのではないと思います。
大人は本気です。
本の中にも出てくるように、「やらないといけないことを犠牲にして何でこんなに練習しているんだろう」と思うこともないではないですが、でも本気なんです。本気で取り組んでいくと、僅かではあってもやっぱりそれなりに少しずつできるようになっている気がします。
脳の可塑性を信じましょう。脳を舐めてはいけません。理想は高く持ちましょう。
毎日練習する
練習は毎日やります。「5分でもいいから触るべし」とはよく言われます。とにかく触るというのは重要だと思います。練習している最中にはできなくても、数日後に実を結ぶなんてこともよくあります。
かといって惰性で練習しても上手くなりません。ああでもないこうでもないと試行錯誤を重ねつつ、しつこくやります。たとえゆっくりであっても、行きつ戻りつで迷走していようとも、少しずつ何らかの進歩はあります。(あるはずです。少なくともあってほしいです。きっとあるでしょう。)
家に居る限りは練習します。旅行に行った時はさすがに諦めますが、稲垣さんは旅の先々でレンタルスタジオを探したというのですからすごい。2時間とか3時間練習しているというのもすごいです。
言葉・理屈で理解する
子どもとの違いは、大人は言葉で考えることができるということではないでしょうか。所謂「身体で覚えろ」というのではなく、こうだからこうなると一応理屈で理解しようとします。
本の中で「そのうち指が覚えるから」と言われたという箇所が出てきます。身体が覚えるということは何度も繰り返して練習して神経回路がつながっていくということでしょう。
闇雲にやるのはなかなかしんどいので、まずは頭で考えようとします。そして後は身体が覚えてくれるのを待ちます。哀しいのは身体が動いてくれるまでに、ものすごい時間がかかるということです。
脱力が大切
力が入っていると美しい音が出ません。
無理な姿勢や無駄な力をかけると身体を痛めることもあります。
しかし、頭でわかっても身体がついていかない典型です。
美しい音で弾きたい
そんなに超絶技巧の曲を弾こうとは思わないですが、美しく、いい音で弾きたいと思います。
これこそ究極の目標ではないでしょうか。
人前で弾く
発表会は確かにレベルアップします。
なんだかんだと言っても、人前で弾くとなると必死で練習します。それこそ朝練もいとわず、時間を見つけて必死に完璧を目指して練習します。その結果、ワンランクもツーランクも上達した感じになるのでしょう。
練習あるある
まずは譜読みをしていきます。
しつこく練習していくと少しずつ弾けるようになってきます。
なんとなく通せたら「弾けるじゃん」と有頂天になり、レッスンに行ってボロボロになり、音がおかしい、音楽になってないなどと落ち込んでも、また練習し、またボロボロになりの繰り返しです。
本にあるように、「めちゃくちゃだが時間をかけて繰り返せばそれなりに弾けるようになっていく」というのは事実。そして「いくらテクニックがあってもこの曲をこう弾きたいという思いがないと何も伝わってこない」というのも事実。練習は行ったり来たりです。頑張ったからといって上手くなるわけではありません。
そして、稲垣さんのいうところの「ヘレンケラーのウォーター」の日が来ることを信じます。
いくつになっても進化する。そうじゃないと辛いじゃあないですか。
最後に、この本の序文から少し引用します。
どれだけ衰えてもダメになっても、今この瞬間を楽しみながら努力することができるかどうかが試されているのだ。登っていけるかどうかなんて関係なく、ただ目の前のことを精一杯やることを幸せと思うことができるのか? もしそれができたなら、これから先、長い人生の下り坂がどれほど続こうと、何を恐れることがあるのだろう。
稲垣えみ子「老後とピアノ」
そして終盤からも少々
私はいったいどこへ行きたいのだろう?
考えてみれば変な話だ。私はいつも、ピアノの前に座ることを楽しみにしている。それは、自分にも、ほんのわずかでも美しい音を奏でられることが嬉しいからだ。
ならば、それで良いではないか。十分ではないか。
稲垣えみ子「老後とピアノ」
定年後何か楽器をやりたいなと考えているなら、ぜひ読んでみてください。
元気をもらえます。