池田光史さんの「歩く マジで人生が変わる習慣」を読みました。
最初は「歩くことは身体にも脳にいいことだ」系の本かと思って読み始めたのですが、いやいや違いました。そんな単純なものではなく、もっと遠くまで連れていかれます。特に後半は目から鱗の連続です。
この本は6つのStepで構成されます。
Step1 脳のこと
Step2 身体のこと
Step3 街のこと
Step4 足のこと
Step5 靴のこと
Step6 自然のこと
Step1~3は、歩くことの脳や身体への効用や歩きやすい街について書かれています。
例えば、「歩くとアイデアがひらめく」「脳が若返る」「自然の中を歩くと脳がリラックスする」「血糖値や血圧が下がる」「癌や心疾患リスクが減る」「ストレスが減る」 「座ることの弊害」などなど、ここまではまあ想定内で読んでいました。
ところが後半Step4~6が面白い。これまでほとんど意識したことがない内容で、とても興味深く読むことができました。
「Step4足のこと」、「Step5靴のこと」では、本来あるべき足の姿と、靴に足を合わせるのではなく、足に靴を合わせるベアフットシューズについて語られます。
池田さん曰く、足は細かい部品(骨、筋肉、関節など)が大量に使われている精密機械のようなもので、足の裏は言わばセンサー。地面から得た情報を脳に送り、その情報を元に、我々は身体を倒したりせずバランスを取って歩くことができるのです。
また、歩くときには少なからず地面からの衝撃を受けるのですが、着地の衝撃を吸収するクッションの役割を果たしているのが足のアーチ。足裏、足首、アキレス腱、ふくらはぎ、膝などが一体となってバネのように作動します。そして、アーチがうまく機能しないと衝撃を吸収するクッションがうまく働かず、膝や腰が痛くなってしまうのだそうです。
ところが、靴によってこれらの機能が阻害されてしまっているとのこと。
厚底シューズを履いているとセンサーの感度が鈍くなります。
硬い靴やつま先の細い靴だと足の柔軟な反応が阻害されます。
崩れてしまったアーチを強制的に持ち上げるアーチサポートの靴は、確かに歩きやすいかもしれないですが、ギプスやコルセットのようなものです。
踵が高い靴は姿勢を歪めたり筋肉の働きが崩れてしまったりして膝や背中のトラブルにもつながります。
つま先が細い靴を履き続けると外反母趾に悩むことになります。「現代の纏足」との表現に「なるほど」と思います。
裸足で走るのと靴を履いて走るのを比べてみると、裸足の場合は親指の付け根や足の裏全体で着地する傾向が高いのに比べ、靴を履くと踵で着地する傾向が高い。裸足の場合の衝撃は体重の0.5~0.7程度に抑えられるのに対して、靴を履くと1.5~2倍の力が加わってしまうそうです。そして、クッション性の高い靴を履いていると衝撃を吸収してくれるので、踵で着地しても不快感や痛みがほとんどなくなってしまうのです。
このようなことから生まれたのが、素足の感覚に近いベアフットシューズです。
つまり、靴の形に足を合わせるのではなく、自然な足の形に靴を合わせるのです。
アメリカの足病医レイ・マクラナハンによると、ベアフットシューズの特徴は、以下のようなもの。
・ゼロドロップ(踵とつま先の高低差が低いフラットな靴)
・フットシェイプ(自然な足の形、つま先が狭まっていない)
・柔軟(足の筋肉や関節が使える)
・アーチサポートがない(本来の足の筋肉が使える)
・ソールが薄い(地面の感覚が伝わる)
つま先が狭まっておらず指が開くことでバランスを保ち、アーチ機能をサポートすることができます。踵が高くないと足首やふくらはぎの自然な動きが引き出されます。
ソールが薄いと地面の感覚がわかりやすいのですが、身体のバランスや姿勢を整える意味ではある程度のソールの厚さも必要という考え方もあるそうです。
池田さんは「足の指が自由な靴」を2年ほど履き続けたら、ファッション性だけで選んでいたスニーカーや革靴が履けなくなり、「歩くのってこんなに楽しかったっけ」という境地に至ったと書いています。
自分も、ベアフットシューズを履いて歩いてみたくなります。
最後の「Step6自然のこと」では、靴の話にとどまらず、アイスランドで4日間、55キロを歩き続けた体験からの学び、苦痛、挫折、幸福が語られます。
本を読み続けながら、冒頭の「文明やテクノロジーの進化は果たして僕たちを幸せにしたのだろうか」という池田さんの問いを改めて考えている自分を発見しました。